かしばし
平野塚穴山古墳(ひらのつかあなやまこふん)


国指定史跡
古墳時代後期

西名阪自動車道香芝(かしば)I.C.から南へ、平野(ひらの)の村の中にある正楽寺(しょうらくじ)の本堂の西側にあって、寺の境内を通っていくことができる。この古墳は昔から開口していて、江戸時代の終わりごろまでは顕宗天皇(けんぞうてんのう)の墓(顕宗陵)といわれていた。(現在は、北今市(きたいまいち)に指定地がある)
昭和47年に行われた発掘調査で、一辺約21m、高さ約4mの方墳(ほうふん)(四角い形の古墳)とわかり、南側に入口がある石槨(せっかく)(棺を入れる小さな部屋)の中から夾紵棺(きょうちょかん)(漆(うるし)を塗った布を重ねあわせて作ったお棺)片と金環(きんかん)(金メッキをした銅製のイヤリング)1個などが土出した。石槨は、屯鶴峯(どんづるぼう)付近から持ち運ばれた凝灰岩(ぎょうかいがん)の切石を組み合わせて丁寧(ていねい)に作ってあり、漆喰(しっくい)も塗られている。内部の規模は、長さ3.05m、幅1.5m、高さ1.76mである。
以上の発掘成果から、当時相当身分の高い貴人(きじん)の墓地であったことがわかる。この古墳が築造されたのは、唐尺(とうじゃく)(西暦618年から907年まで中国を支配した唐の国での長さの単位)が使われているらしく、7世紀後半から末頃と考えられている。貴重な終末期古墳(奈良時代の直前に作られた最後の古墳)として、昭和49年に国史跡に指定された。
終末期古墳としては、明日香村の高松塚古墳があまりにも有名であるが、今は保存のために封じてあり、直接内部を見ることができない。そのかわり、この平野塚穴山古墳でその構造を知ることができる。

資料提供は香芝市 


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